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「ゴッホ展~家族がつないだ画家の夢」を観た。もしくは『ゴッホの手紙』小林秀雄著を読んだ。

大阪の天王寺で小さなゴッホ展がやっていて、久しぶりにゴッホの原画を観ることになったのだが、そのときにふと胸をうって涙が零れそうになってしまうのは、彼の絵を観たというよりも、むしろ展示にあった手紙に書かれていた文章を読むことによってだった。


私がゴッホを観るのはこれが三回目で、大阪の中ノ島、京都とで、それぞれ20年、10年前くらいに観た。そのときも、同じように胸をうったのは、絵に伴う、説明文だったりした。


ゴッホって、かわいそうな人だったのだね。


胸をうった感動は、やがてそのように同情にかわり、乞食に小銭をやるようにして、私は彼のもとを通り過ぎていったのかもしれない。


けれども、今回はもう少し立ち止まって考えてみたいと思ったのである。いったい私は、何に涙を零しそうになったのか、それを確かめたいのである。


それで小林秀雄の『ゴッホの手紙』を手に取った。


さて、話は天王寺の展覧会に戻るのであるが、私がこの展示で、私の目で素直に感じたことは、目玉の絵であった、パリ時代最後の自画像はそれほど大した作品ではなく、むしろその前の作品、とくに初期のニューネンで描いた暗い農家がよかった、というものだ。


それが、晩年のオーヴェールの麦の作品とつながっていて、彼はパリの印象派などの流行り物の手法に影響はされたものの、それによって彼は進化したのではなく、むしろそれよりもはやく彼はとっくに深化していただけなのであろう。


彼は、都会ではなく、田舎の自然に、人を見つけた。それは、都会の人間関係に疲れて、ちょっと田舎に旅行に行ってくる、というものではなかった。彼は、病気によってか、生来の性格によってか、人と上手く付き合うことができなかった。それはいわゆる「悩み」というものに属さなかった。「どうすれば人と上手く付き合えるか」、という悩みを持つことさえできなかった。


「僕は絵を描くのが好きなのだ、いろいろな人や物や、人生の凡てのものを眺めるのが好きなのだ、拵えものの人生だと呼びたければ呼んでもよい。まさしく、本当の人生とは、これは違ったものだろう、だが、生きる用意がいつもあり、又、いつでも苦しむ用意の出来ている人間の種類に、僕が属しているとは思わない。」(No.605。『ゴッホの手紙』p.173)


だから、彼は「自然」に向かった。自然は人と人を上手く付き合わせないが、人と人とを「包む」からである。むろん、先述した彼が自然に見つけた「人」とは、他の人ではなく、「おのれ自身」に他ならなかった。見つけた自分は、病気を超えていた。彼の晩年の作品の、自然を描いた作品における、キャンパス全体にひろがる「全体性」のような印象は、そのような、「自我=自然」の包摂性によるものだろうと、私は思う。


では、私はなぜゴッホ展において、また手紙を読んで、涙が零れてしまうのか、それは誤解であったのであろうか。人との付き合いを超えて、彼は自然へ向かって超越したのであって、悩みなどとっくに存在していない。かわいそうなゴッホはもう存在しない。


そうではないだろう。彼は大きな人を見つけたのだ。彼は自然の中に大きな人を見つけた。彼は、聖職を天職だと考えて努力したが、結局定職につくことができず、また結婚して子どもをもち、家庭を築きたかったけれど、叶わなかった。


彼の絵に私は「大きな貢献」を観る。もちろん彼は逃げたのではなく実行したのだ。


「今僕が抱き始めた希望とはどんなものか、君には解るかな。僕にとっての自然、土くれや草や黄色い麦や百姓は、君にとっての家庭のようなものだろうという希望だ」(No.604。『同上』p.168)


彼の絵は確かに、与えているし、与えられている。そうした愛の交換のようなものを、感じ取ることができる。その大きさを、けれども、私は云々しないだろう。

 
 
 

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