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『代表的日本人』内村鑑三著を読んだ。

『代表的日本人』内村鑑三


オーディブルで聴いたが、この著作について、どのように感じればよいか、いまいちつかめないままに、聴き終えてしまった。


西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮。


彼らについて、私が無知であったから、彼らについての話を、得ることのできる、入門として読めばよかったのであろうが、そうではなく、その向こう側の、著者自身であるところの、内村鑑三の思想が表出していて、そこをつかむことが、けれども、なかなかに難しいのであった。


西郷隆盛は偉いひとであった。その偉人伝が、書かれていて、それを素直に読むのであれば、感動することだってできたであろう。けれども、そう簡単にいかないところが、内村鑑三の、まず思い浮かぶところでは、「キリスト教」の信仰というところであろう。


日本とキリスト教を結びつける。このアクロバティックなことを、やろうとしている。そして、それは、成功していない。


何を言っているか、根本的に、分からないところが、本書にはある。


それは、難しいということではない。言葉自体は、やさしいのであるが、どうして、キリスト教的なことに、むすびつけなければならないのかが、わからないのである。


代表的日本人の、五名それぞれを、独立した人物として、描き出そうとすればするほど、そして、その独立がかなったと思われたとき、それぞれの個性は、一気に消えてしまうような気がする。


けれども、私が言いたいのは、この著作や、内村が、意味のないことをした人だったり、といったことではない。むしろ、その大胆さというところに、おもしろさを感じるのであり、こういう人は、決して現代の日本に、出現しないだろうな、と思うのである。


内村の言う「天」は開かれ、それを信仰する「個」の独立ということは、私にとって、見えるのであるが、それ独立した「個」というもの同士の、いっしょに生活する「共同体」ということに関して、どのように、内村が考えていたのかが、見えてこないのであり、日蓮について言及するところを聴くと、そこには闘争というものしか見えてこない、という不安を、私は感じる。


とはいえ、内村の生きた「日本」というものを、内村が「代表」していたというのは、間違いなさそうであり、彼について考えることは、日本について考えることになるのであるから、そこのところは、これからも興味をもっていたいところである。

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