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『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル著を読んだ。




『夜と霧』ヴィクトール・E・フランクル


読もうと思って、読めていなかった本で、今回オーディオブックで見つけて、通して読むことができた。


・強制収容所を想像すること

強制収容所での過酷な日々について、朗読で聴いていると、私の想像では、映画『ショーシャンクの空に』の監獄生活を思い出したり、『シンドラーのリスト』を思い浮かべたりした。そしてなぜだか、ピカソの「青の時代」の作品のような、タッチで痩せた人々を、思い浮かべたのであった。


・希望をもって生きる

12月25日から、正月にかけて、強制収容所では、それ以前までの期間と比べて、亡くなる人が多い、という話があり、それは、クリスマスまでに解放される、という希望を持っていた者が、それを裏切られたときに、命が潰えてしまうことが多く、つまり生きるということは、その極限的状況にあったとき、最後にたよりにするものは、「希望」に他ならない、ということだった。


・絶望しても生きる意味はあるか

このような、極限状態においても、「生きる意味」はあるのか、と著者は問い続けたが、結論として、彼は「コペルニクス的転回」が起きた、と話す。つまり、生きる意味、というのは、問い続けることになく、したがって求めて得られるものではなく、つねに瞬間瞬間に作りだされねばならない、ということだった。


ここに、本書の核心部分はあり、平和な日常を生きる現代日本の私にも、つよく訴える箇所であり、学ぶところが大きい、と思われた。そして、実際、この箇所を聴いていて、私は涙があふれてきたのであった。


・生きる意味を問う、生きることに問われる

生きる意味を問うのをやめ、生きることが問うてくることに対して、つまり実人生での要請に対して、必死に行動で、処していくことが必要である。生きる意味などという、抽象的で、漠然とした、一般的な生などというものはなく、常に現実は、われわれにとって、一瞬一瞬かわりゆき、それゆえに宇宙でたった一度きりの、唯一の現象である。その時々において、われわれは、この現象の「問い」に対して答え、要請に対して義務を果たすだけである。


・著者の観察する目

さて、こういった議論が、彼によって行われるが、これを聴いていて、内容が耳に入ってくるのは、それが理路整然としているからである。そして、強制収容所での出来事について、理路整然と、客観的に、冷静に「観察」する目というものが、生き残るには、必要だったのではないか、ということも、思ったことのひとつである。


・現代社会と『夜と霧』

新版の訳者が、あとがきで書いているが、旧版にはなかった、新版で書き足されたところに、強制収容所のナチの看守の側にも、「善」き心を持った者もいて、ある「悪」の集団がいて、ある「善」の集団がいたわけでなく、それぞれの集団に、ひとりひとりの決断において、「善」と「悪」を試されていたのだ、という内容がある。このことを訳者が推測するに、この書がユダヤ人の過去の「被害」を証したてて、それゆえに現在の行いが、許されるものではない、ということを、イスラエルの現状を知るに至って、書き添えてみたかったのではないか、ということである。


その話を聞いて、自分の「人生の意味」だけでなく、現在の世界について、考えなくてはならない、課題がそこにある、ということに気づかされる。そして、その世界の課題は、考えるのではなくて、行動することを要請しているのであり、義務を果たしていかなくてはならないものなのだ、ということは、前述のとおりである。


・生きる意味を求めるのではなく、求められていることに対して生きる

内田樹の『街場の米中論』では、「自由」の名のもとに利益を追求したり、「平等」の名のもとに権利を主張したりするのではなく、「友愛」をもってして共同体への義務を果たすことが大切と書かれていた。中田考の『どうせ死ぬ』でも、共同体で困っている人がいたら助けることが、イスラームの世界では、基本であると説かれていた。


この『夜と霧』でも、通底するところがあって、それは、現実へと義務を果たしていくことだ。大切なのは、生きる意味を求めるのではなく、求められていることに対して生きることに、自覚することであろう。そして、生きることに、「然り」、と言おう。


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