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映画『ブロンドの恋』を観た。


『ブロンドの恋』(1966)

ミロス・フォアマン監督


チェコスロバキアヌーベルバーグの作品を観たかったが、ほとんどが配信されておらず、DVDにさえなっていなかったけれど、この作品だけは中古のDVDが手に入ったので、観てみた。


チェコスロバキアヌーベルバーグと一口に言っても、先日観たヒティロヴァーの「ひなぎく」とは、まったく違う作風である。当たり前といえば当たり前なのだが、言葉というものは、多様なものをひとまとめにするのに便利であるが、その分、ひとつひとつの違いを忘れさせてしまう。


ああチェコスロバキアヌーベルバーグとかいうの、かっこいい名前だけどどうでもいいな、ひとつひとつ作品はちがうよな、と気づけただけでもよかった。


さて、本作の内容についてであるが、おもしろくて爆笑してしまった。映画で、セリフのないシーンで、爆笑した経験は、もしかして初めてかもしれない。


婚活(今で言う)会場で男女のグループが牽制しあういうシーン。5回は声を出して笑った。


結婚指輪を取って、その跡を消そうとテーブルの下でこすっている仕草が、自慰行為のように映る。


その指輪が、年配の女性のグループのテーブルの下に転がっていくのだが、ミニスカートの膝を女性三人がいっせいに閉じる。


こんなシーン、アマデウスにも無かったっけ? と懐かしく思い、作家の「得意技」のようなものを観られて、うれしかった。


あの眼鏡の俳優さん、名前何なのだろうって気になった。


ろくでもない男を描かせるには、やはり男しかない、と思った、というのは変であろうか。


ピアニストの彼、部屋のロールカーテンが閉まらなくて、閉まらなくて、ひっぱって落としちゃって、くるくるまいて、だんだん急所が見える様になって、情けない。


やっぱりおもしろすぎるだろ。


先日観た『ナミビアの砂漠』も、女性が主人公で、くだらない男が二人関わるという話なのだが、そちらの男もやはりおもしろいのではあるが、ちょっとピンとこない。


そんな優しすぎる男は「特殊な男」であって、男としての欠点ではない。そんな映像の仕事をしながら棚に「人生で観るべき100本」の本を置いているような男は、「底の浅い人間」なのであって、とっとと別れてしまいなさい。


『ブロンド恋』の彼らは、人間として魅力的だ。男として最低だとしても、そこは否定しがたい。

だから、この映画の主人公って、この男たちじゃなくて、この女の子だったのだ、と最後のほうで気がついたときに、その子の悲しさを、わたしは本当に痛んだ。


ラスト、女子寮ですやすやと眠る、女の子の寝顔を、ひとりひとり映し出していく。そのカメラが、慈悲に満ちていて、観ているわれわれは、彼女らの「父」になる。


フォアマンは、50年代末に、ドイツからプラハへ「恋人」を探しに来た女の子を、朝まで世話したことがあって、それが本作の下地になっているという。


冒頭にアメリカンポップスを歌っていた彼女は、最後になってハミングで短調の民謡を歌う。


監督に、まさか同じ経験があったとは思わないが、「自戒の念」がまったくないとは思えない。


この映画は主人公が女の子であるけれども、本質的に男の映画なのだと思う。

 
 
 

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