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『ジュラシックワールド復活の大地』を観た。

更新日:8月12日

夏休みに友達と観に行った、という映画だ。


特に期待していなかったが、期待していないほどおもしろかったこともなく、おもしろくなかったこともない。


そういう映画、ちかごろ多いなあ、と思うのは、私がそういう映画を観ようとしているからである。それを怠慢だと呼ぶほどに、私は自分に厳しくは、いまはない。


映画を観ているときに、自分を忘れてしまう、そうして、映画館を出たときは、映画ごと席に忘れて帰ってしまう。


そういう映画と付き合う退屈を、私はもう持ち合わせていない。


オープニングがよかった、だとか、あのシーンはよかった、だとか。そういう描写も必要ない。


映画は忘れても、人生は忘れまい、そう決意するだけである。


日々の苦労が私を忘れない。その苦労を一時忘れられたら、そういう思いで映画館に駆けこむ。映画を観ていたら何も考えないで済む。


そういうのを馬鹿になるというのだが、学生時代などはとんがっていて絶対にこんな映画みるものか、と思っていたのに、大人になるとこういうのも観ておいたほうがいい、という「余裕」のようなものが出てきたなどと言い訳をする、要するに結局はとっくに馬鹿になってしまったのだ。


もうこういう映画は観ない。


ごめん。友達には悪いけど。


とはいえ、まあそこまでとんがらずに、一度振り返ってみようではないか、と大人の私は考え直すのである。


オープニングはよかったよね、である。


「13年前」


でいきなり始まるの、私は心で爆笑していたのだが、これは普通なのか。まだ「今」がないのに、「13年前」って。「いつから?」となったが、これは私だけだろう。


宇宙服を着て、実験をしている。ここの施設がよかった。チョコ菓子のスニッカーズの袋がよかった。


本作の監督の作品は、「クリエイター」を観ていて、その作品の特徴は、東南アジアの亜熱帯地域の自然の中に、ぽつりと超現代的メカが現れる、という奇抜さ、である、と思う。


全身黒の服を着て、首に赤のスカーフ、みたいなこと。


近代施設のなかに、スニッカーズ。よかった。あと、怖かった。照明の使い方。ヘルメットの中だけ光っている、あの女性の顔が無茶怖い。


それで、ジュラシックワールドのロゴが出てきた時、これはえらい傑作にちがいない、と期待したものだった。


序盤もいい。ニューヨークかロサンゼルスの街が、渋滞している、そこには、恐竜が日常の中に溶け込んでいる。恐竜園から逃げ出した恐竜が捕らえられている。大都市に現れる恐竜一匹。99パーセントの現実のなかに1パーセントの非現実。まさにこれ、この監督の真骨頂ではないか。私は興奮した。


けど最初の十分だけやったね。


あとは馬鹿映画でした。


現代の大予算映画を観るにつけ、せっかくだから、現代について考えを寄せたいと思うのだが、続編のつくりすぎで、いきつくところまでいきついている、ということ。


本作こそがあのレックスのような異種交配を重ねた結果の「奇形」なのだ。


ということが、意識的に行われている、ということが、馬鹿に馬鹿を重ねているのか、なんなのか、映画監督とは、奴隷の仕事なのか?


本作の、博士に、過去が無い。博士は、監督のことを表している、と観たが、彼は何も自主性はない。ちょっとリベラルなこと言ってみせるだけである。フリスクかじって判断するだけだ。


エイリアン、ジョーズ、イーティー、ジュラシックパーク、全部乗せの奇形映画。


どうせなら最後のレックスが知性を持っていて、宇宙と交信して、故郷に帰っていったほしかった。


どうせなら?


私が本作を観ていて動いた感情のピークは、海上で恐竜に襲われた救命の信号をうけて、ダンカンが救命に行く決断をし、家族の船に到着したときに、音楽が流れながら子どもの顔にアップするところ。


ダンカンは息子を別れた嫁にあずけている。息子にはあえず、何もしてやれないが、その代わりに、彼は女の子を救ったのである。


最後、奇形レックスにむけておとりになるのは、女の子を守るためなのだろうが、そこははっきり描かれていない。女の子を抱きしめて、父親になんですか?というギャグがあってもよかった。私にとって、本作の主人公はダンカンであった。


まあ、ゾーラにとって、ダンカンを救うのが、過去の仲間の死というトラウマの乗り越えになるから、ダンカンは自分の存命を、ゾーラにお知らせするのだが、そこは「各々」で、克服してほしかったところである。

 
 
 

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