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2023/3/10(金)大阪難波ベアーズ


2023/3/10(金)


難波ベアーズ

<MFAD#48>

w/小西大樹/小林隆太


1雪のように

2Morning song

3Arivval

4天空から錦がぶら下げられている

5花束をあなたに

6春夏秋冬

7ブルーサルビアのにおい


難波ベアーズでのライブであった。大阪でのライブは何年ぶりだろうか。おそらく2019年以来だと思う。もしかしたら2020年に一度ライブをしたかもしれない。そうだっただろう。そのときに新曲をたくさんした覚えがある。しかしどれも「しっくり」きていなかったことを思い出す。それからすぐに活動を中止したのであった。いわゆる「スランプ」というものにハマっていた。


そのころ、新曲は毎月のようにできていたのだが、それらが自分の納得のいく出来に到達しなかった。どれだけ作ってもよいものができなかった。


「この作品はよい作品である」という感覚というものがどういう感覚なのであろうか。「スランプ」というのは、よい作品ができないというよりは、これがよい作品であるという判断する感覚が狂っているということに起因すると思う。


その原因の一つにラブソングの多用というものがあった、と思う。ラブソングを作ることによって「二人称的」な作品しかつくれなくなった。誰かに向けることで力のある作品ができた。とはいえそれが「作品」としてよいものであるか、ということが疑問になった。この「疑問をもった」ということがスランプのきっかけである。「ラブソングばかりではいやだ」。もっと違う作品がつくりたい。どのような作品をつくろうか。こういった次へのステップに向けた歩みがあったのである。


「三人称的」な作品。それが目指されるべきである。それは数字の上ではわかっていた。しかし、簡単ではなかった。


1stアルバムでは「私」の身の回りに起こったことを「一人称的」に歌った。2ndアルバムでは「あなた」に向けて恋の感情を「二人称的」に歌った。3rdアルバムでは、歌そのものが一つの「世界」として自立するようないわば「三人称的」な作品を作りたいと思った。思ったのであるが、それがどうすればよいかわからなかった。


それが、今回のライブで披露した「天空から錦がぶら下げられている」という新曲によって、初めて達成されたと思う。私は、この新曲を歌いながら、ひとりで感動していた。聴いていた誰よりも感動していた。「ああできた」と思った。2019年からの3年以上続いたスランプを脱却したと思った。2020年にベアーズでライブをしていた自分とはずいぶんと変わったのだ。


作る歌を変えることは、自分の生活を変えて、性格までも変えないといけない。一度生まれ変わらないといけない。


最初、私は私の生活の圏内にいた。孤独に時を過ごしていた。そんな中とある女性に恋をした。その人とのかかわりのある生活をした。そんな恋もやがて終わりがきた。再び孤独に戻っていった。しかし、今度の孤独は完全に孤独ではなかった。円は破られている円であった。この破れた円を修復しようとした。だけれども不可能だった。そこでこの円自体を捨てようと努めた。私は私を捨てようとした。音楽を辞めた。タバコを辞めた。酒も辞めてしまった。気づいたらぼくは痛みの上に立っていた。


「破れ」ているのは「私」でも「あなた」でもない。破れているのは「もの」である。その「もの」を他の「もの」との関係をつけて「世界」を作る。現在の私の歌作りを論理的に言えばそうなる。


傷ついているのは「私」でも「あなた」でもなく、「胸」である。それは「外から見た胸」ではなく、「内から感じられる胸」である。この胸に直接アプローチする。「感じられる胸」を、「感じられる血」で直していくのだ。感じられる血というものは、「さまざまなイメージ」である。「つぎつぎと流れるイメージ」である。これを流す。とめどなくくっつけていく。それを自然に行う。「私」が入ってはいけない。「あなた」も入ってはいけない。倫理的に言えば「誰の所為にもしてはならない」。「天空から錦がぶら下げられている」という作品において、これがやっとできた、と思った。


ライブのあと、お客さんも演者も帰ったあと、スタッフの方々と話をした。まずは私の演奏についてよかったと言ってくれた。これが本当にありがたい。とはいえ、私が呼んだお客さんが0人だったから、その対策を話し合った。私ができることとしては、ライブの映像をyoutubeに挙げていき、自分の音楽を広めていこうと努めようと考えている。そのためにQRコードをつけたチラシをデザインした。これを配ろうと思った。動画の撮影も今回から行った。もっとよく撮れるように工夫していきたい。ベアーズのスタッフの方も次のブッキングにむけて動いてくださるそうだ。大変ありがたいことである。


難波の街を途中でコンビニにより、ノンアルコールビールで祝杯をあげながら歩いた。そのような現実的な課題を抱えてはいたが、内面の問題が完全に突破できていたので、足取りは軽かった。


歴史に残る。


本当の課題はそこにあるのだから。と口に出したら怒られるかな、と思って言わなかった。ここは商売の街大阪なのだし、きっと歴史のまだ途中なのだから。

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