2023年7月24日㈪西院ネガポジ27周年イベント
- 三好真弘
- 2023年7月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2023年8月14日
2023年7月24日㈪
西院ネガポジ27周年イベント
w/ぴあにかきーこ/フジコ
1ブルーサルビアのにおい (Smell of Blue Salvia)
2近畿 (Kinki)
3四天王寺さんの砂はぼくの骨でできている (Shitennoji's sand is made of my bones)
4堺の街は午後三時 (Sakai city is at 3 p.m.)
5play a blue marble
6夏のキャタピラ (tank caterpillar in summer)
~フリートーク~
7aftersun
8サトクダマモドキ (Holochlora japonica)
この日、京都の街は祇園祭の後祭りであった。祭りが終わるといよいよ猛暑が続くことになる。私の歌も夏へと向かって登っていく入道雲のように気合の入ったものだった。
熱かったな、とライブ終わりにPAのゴローさんが言った。夏ですからね、と答えた。まあ夏は暑いけど、その暑さじゃなくて、三好の歌が熱かったんや。というように、漢字の「あつさ」違いで、軽く漫才のやりとりをした。
大阪の歌が多かったな、とも言われた。2曲目から5曲目までは大阪の歌である。大阪の歌は熱くなる、と私は応えたが、どうなのだろう。府外に旅をしている歌だからであろうか。また、故郷への愛憎が混じるからであろうか。
一曲ずつすこしだけ説明をしてみよう。「近畿」は、空想の中での大阪を歌ったものだ。作り始めは、近畿という地域全体を歌おうと思ったが、次第に大阪に焦点が絞られていった。山桜の花びらが美術館を散っていく、というシュールなイメージから始まる。そのイメージから、文明が自然を完全にコントロールしているという時代設定を考えた。そこから近畿という地域を広大な墓所であった時代を想定した。そして、その時代を現代に重ね合わせて、大阪の都市のビル群を墓石に喩えた。空想と現実を重ねた作品だ。歌うときにはなぜだか「怒り」の感情を伴っている。全体的に空虚感やむなしさを感じる。死の匂いが漂っている。大阪のビル群を思いながら書くとき、911の貿易センタービルを重ねながら書いた、不吉な歌でもある。
「四天王寺」は、これは実際に大阪の街を一日中歩いたときのことを歌ったものだ。一日中歩くと、情報量が豊富にある。豊富過ぎるくらいあるので、そのなかから、切って選んで作った。それゆえに起こる突然の場面転換がおもしろい。サビのセリフも前後の歌詞とつながりがない。しかし、歩いて経験をした「一日」という身体の記憶が、そのつながりのなさを担保している。聴く人も、このつながりのない断片を、なにかによって埋めていく。そのなにかというものが、「感情」というものであるはずである。
「堺の街は午後三時」は、実家に帰った時の歌だ。ファーストアルバムに収録されている。個人的には、タバコを吸っている描写があったり、パチンコがでてきたりと、自分を「大阪的」に描いていておもしろい。地元に帰ると地元的に生きる。人格が変わってしまっている。そのことがユーモラスである。「ホットケーキにはちみつぶっかけた街」という比喩は名句だろう。歌うたびにどういう意味なのだろう、と感じる。この詩はまだ生きている。この句は「四天王寺さんの砂はぼくの骨でできている」というフレーズへとぼくのなかでは直接につながっている。
「play a blue marble」も大阪の描写がある。本編の描写は大阪だが、実はホームレスの下りや、道端に青いものを見つけるところは、私が東京を無一文で放浪したときの記憶が反映されている。東京のことを描写したかったが、土地勘がなくて描けない。だから大阪の土地勘で描いた、という事情もあっただろうか。フォンターナの空間概念を大阪の美術館で観たのは本当である。けれども放浪の時期に他の沢山の美術館を回っていてその記憶が重ねられている。現代美術についての本を東京の古書店で買って読みながら放浪したのであった。その時のアメリカ表現主義についての評論が歌詞に活かされている。「四天王寺」の歌詞にもジャクソンポロックが出て来る。
というわけで、これだけ語れるのであるから、熱いわけである。とにかく、私の中で愛憎が入り混じるのであろう。象徴的な歌詞としては「祖母」である。やたらと祖母が出て来ると自分でも気づいているが、これは「死者」の象徴であろう。「現実にかかわりをもち、現実に死んでいった人のこと」である。その人は季節によって蘇ったり、他の人に化けて出たりする。ぼくの世界に登場する魂は少ない。小津映画に出て来る俳優陣のようにである。
さて、最近はライブのお誘いも多くもらえるようになってきた。この夏はよく歌う。歌っているときは死ぬことがよくわかる。ああ死ぬな、と気づく。限界がわかるのである。明るいステージのライトの裏がもっとも暗いというように。だから本当は歌いながら完全にぼーっとしている。僕の歌は熱い。夏の空は青い。
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