2024年11月8日ネガポジ弾き語りライブ「今年生まれた君たちの宴2024」
- 三好真弘
- 2024年11月12日
- 読了時間: 4分
2024年に作った新曲のみのライブであった。
MCでも語ったが今年作った曲は7曲。すべて作詞は私である。作詞のみは4曲、作詞作曲両方を行ったのが3曲である。まとめると以下のようになる。できた月と、作曲者も挙げておこう。
1.出店の姉ちゃんが…(1月)、作曲:佐伯
2.博物館では…(1月)、作曲:佐伯
3.節分祭(2月)、作曲:黒田
4.花は泣かない(3月)
5.スミレ(4月)
6.ふとっちょ坊や(8月)、作曲:佐伯
7.押しピン(9月)
このライブでは、以上のことを話したので、自分自身の、一年のまとめになった。5月6月に曲ができていないのが不思議である。ここに作品がないから、その時期に自分が何をしていたのかを、私はうまく思い出すことができない。
今回のこの企画は、おもしろい企画で、今年が初めてのものなのだが、来年からも続くということであるから、楽しみである。
ネガポジは、シンガーソングライターが集まる場所である。そこで、シンガーソングライターの「ライター」の部分を、抽出するというのが、この企画の意図であろう。
歌を作ってなくても、昔からある曲を歌っていると、なんとなくシンガーソングライターとしてやっていけている気がするが、内面では「歌作ってなくてやばいな」とか思っていることがあったりする。
私のような場末(?)のシンガーソングライターでも、一丁前に「スランプ」があったりすることがあった。けれども、曲ができない、というのは、曲を作ろうともしていないことだったりする。ギターを持てば、なんらかの曲はできるのであって、曲を作る「つもり」がないだけだったりする。
忙しい、とかなんとか言ったりして。
言い訳も、その都度、「生まれ」たりするのだけれど。
3か月間、新曲を作っていない人は、「シンガーソングライター」と名乗らないでください、ただの「シンガー」と名乗ってください、と、年配の歌い手のライブを聴きながら思っていた、若い自分を、この企画に出演する前に、ふと思い出したりした。
けれども、今回は私を含めて4人出演したが、それぞれが5曲以上、新曲を発表していて、その全体を観ていて、「異常な光景やな」と思った。
生まれたばかりの新曲たちが、まだこの地上の空気に触れたばかりで、表面が乾燥しきっていない、つるつるの「カマキリ」みたいなおばけが、ライブハウスの空間を漂っているでおますな。
おそろしやー。成仏しておくれー。なんまいだー。
そんなことも、他のお三方を観ていて感じたものである。シンガーがソングを制御できていない感じ。これは、歌っている私が、実感したことでもある。新曲は、まだ、身体に刻み切れておらず、歌と身体が同一化されきっていない。歌は身体から、離れた魂みたいになっている。それが、離れていかないように、必死にコントロールしながら歌っている。
どうやら、そのコントロールをしているだけで、私は5曲を歌い切ったようだ。ライブは、あっというまに終わってしまった。実際は、持ち時間をすこしオーバーしてしまっていた。
ところで、こういうおそろしい企画が成り立つことできるのは、齢を取っても新曲を作り続けている、表現太郎というおばけみたいな人が、出演者として参加していた、ということが大きいだろう、と思っている。
こんな企画はネガポジにしかできないだろう、と思う。そしてこんな企画で生まれた曲たちは、ネガポジが産んだ曲たちだろう、とも思う。
ライブを見に来ていたシンガーソングライターの仲間が、ライブ後に、次々と、来年の参加を表明していたのも、印象深い出来事だった。これは、来年にライブをする、という約束ではなく、来年は新曲を5曲以上つくる、という宣言である。異常なことである。異様なパワーである。私もまた参加する一人なのだけれど。
二年ほど前、私は一年間、歌を歌うことをやめていた、ということを、もう言わなくなってきているが、その一年間ライブをしないでいる時期に、私は毎朝詩を書くようにしていたのだから、どうにも度し難く、私は歌を作ることに呪われているのではないかしらん。
いやいや、祝福されているのである。私はわれわれを、ことほごう。
10年間くらい、シンガーソングライターとして活動してきて、実感することは、シンガーソングライターが歌を作るというのは、単に、自分一人で作るということではないということだ。もちろん、歌を作るのは、孤独な作業である。けれども、その発表は、かならず人の前で行う。その発表で、人に聞いてもらうことを通して、その曲は一つの曲として成り立つ。そしてまた、他の人の、新曲を聴くことで、勇気づけられて、また自分も作ろうという気になる。
ライブハウスという場がないと、一曲も歌など作れまい。
さて、来年は『2025年、ネガポジで生れた曲たち』というコンピアルバムを作ってくれたらよい。誰か、作ってくれ。作ってくれたらな。そうすると助かる。私はその時間があったら、自分の歌を作るけれど。
というわけで、雑誌じゃないけど、雑歌な日だった、と、最後に、説明のない、ひらめきの言葉で締めておこう。歌を産むのは、説明ではなく、ひらめきである。
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